アースハックー新しい世界の作り方

歴史問題に汚染される日本人の精神性。経済システムの行き詰まりによる職業消滅の危機。混沌としたこの時代を生き抜くヒントとなる情報を提供したいと思います。

維新の魁、清河八郎

新撰組といえば日本で知らない人はいないが、その前身が浪士組という幕府直轄の組織であったことはあまり知られていない。そして、その浪士組をつくったのがこの清河八郎という東北出身の一介の浪人であったことも…。

 

ふるさと出羽庄内清川村で幼少期を過ごした清河八郎は18歳で江戸へ出た後、わずか25歳にして文武両道を教える私塾「清河塾」の塾頭にまでのぼりつめた。しかし出世街道を順調に走っていたはずの八郎が危険をおかしてまでも倒幕運動に身を投じたのは、いったいなぜなのか。一説によると安政7年に起こった桜田門外の変に衝撃をうけたのがきっかけだという。その事件に時代のおおきなうねりを予見したのかもしれない。

 

桜田門外の変が起こった同じ年、八郎は清河塾に集まっていた塾生らとともに倒幕グループ・虎尾の会を結成した。だが、過激さをましたメンバーの中には、外国人居留地の焼き討ち事件やヒュースケン殺害事件を引き起こす者まででてくるようになる。そのため幕府から目をつけられた八郎は、ある日、幕府の意を受けた無頼の徒にからまれ、それを切り捨てたことからお尋ね者とされてしまう。

 

しばらく諸国を潜伏し、西国の同志らと密謀をめぐらせていた八郎は、文久2年(1862年)、ひょっこり江戸にもどると浪士組の結成を幕府に上申する。浪士組というのは、仕事を失った浪士たちを組織してつくった一種の自警団であり、これを市中警護の任に当たらせると同時に将軍上洛の際の警護役にもするというもので、当時、乱暴狼藉を働く浪人や無頼の徒の取り締まりに頭を悩ませていた幕府にとっては一石二鳥、三鳥の妙案だった。これを採択した幕府は八郎の過去の罪を許すとともに浪士組の総責任者に任命した。

 

文久3年2月、将軍家茂上洛の護衛役をおおせつかった浪士組は江戸からの長い道のりを経て京都にたどりついた。到着したその日の夜、八郎は新徳寺の堂内に集まった一行にこう言い渡した。 「われわれは幕府の募集に応じて集まったものだが、本来の目的は将軍警護ではなく尊皇攘夷にある。尊皇攘夷の先鋒となることこそがわれわれの本懐である。反対する者はよもやおるまいが、これに同意する者はここに署名してもらいたい」。 これを聞いた浪士たちの間におおきな動揺が広がった。将軍を尊王攘夷派から守るためと信じて応募したはずの浪士組が向けるべきその矛先が尊王攘夷派ではなく幕府自身へと180度変わってしまったのだから当然であろう。のちに浪士組を離れ、新撰組をつくった芹沢鴨近藤勇土方歳三ら一部の浪士たちも心中穏やかではなかったが、八郎のあまりの迫力にのまれしぶしぶ署名したという。

 

さらに翌日、八郎は朝廷に攘夷を促す意見書を上奏するという前代未聞の行動に出た。しかも異例にもその意見書は受理され、そのうえ攘夷にさらにはげむよう天皇から勅定(お言葉)さえ賜ったのである。身分の低い浪士が朝廷に上奏することも異例なら、その浪士が天皇からお言葉をもらうのも異例であり、まさに異例づくしの前例のない出来事であった。しかし、これによって浪士組は、事実上天皇直属の軍隊となったも同然である。そうなった以上、幕府にはもはや八郎らの行動をおさえる権限はない。八郎はしてやったりと内心ほくそえんだことであろう。

 

こうした八郎の独断専行に危機感をいだいた幕府は、いったん浪士組を江戸へ呼び戻すことにした。しかし、すでに朝廷から攘夷のお墨付きを得ている八郎は、軟弱な幕府に代わって攘夷の先鋒となるべく単独での攘夷、すなわち外国勢との単独開戦を画策しはじめていた。できるだけ穏便にことをおさめたい幕府にとって、万が一外国勢力との戦端が開かれたりしたら万事休すである。しかも、問題はそればかりではない。幕府に不満を持つ浪士たちが浪士組が結成された後も続々と集まってきており、このままでは何百人という浪士たちが八郎の私兵となって勝手に外国勢力との戦争を開始してしまうかもしれないのだ。

 

あせった幕府は、ついに八郎暗殺を決意する。 文久3年(1863年)4月13日、同郷の知り合いである金子与三郎に呼び出された八郎はその帰り道、麻布一ノ橋で待ち伏せていた佐々木只三郎ら幕府の刺客によって殺害された。享年34歳。慶応3年(1867年)の大政奉還王政復古の4年前のことであった。

 

その清河八郎の偉業を顕彰するために、昭和37年に建設された記念館が山形県庄内町にある。清河八郎にまつわる遺品及び関連資料百数十点が保管され、その一部は常時展示されている。そのうち山形県文化財として指定されているものは51点。

 

■ 開館時間/午前10時~午後5時 
■ 休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)・冬季(12月~2月) 
■ 入館料/大人 400円・高校生 300円・中学生 200円・小学生 100円 団体10名以上1割引 
■ 交通/JR陸羽西線清川駅下車 徒歩10分 
■場所/山形県東田川郡庄内町清川字上川原37 
●お問合せ先/ 山形県東田川郡庄内町清川字上川原37
TEL・FAX 0234-57-2104 

幕末維新観光ガイド

http://bakumatsu-kanko.com/spot/kiyokawamuseum.html

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